Pocket

10歳の自分と20歳の自分が違うことを言ってた。
何か問題があるか?
 
あるわけがない。
だって10年分成長したんだから。
 
むしろ同じことを言ったりやったりしていたら問題。
それは10年で全く成長してないからね。
 
つまり「違うことを言ったりやったりする」ということは
成長していること。
 
違う認識をする事ができるようになり、
違う思考の材料を得て、
違う判断基準も持ったと言う事。
 
成長している人にとって
違うことを言ったりやったりすることは当たり前のことだ。
 
でも20歳の自分と30の自分、
同じことを言ったりやったりしてないか?
そうだとしたらその原因は?
 
過去に縛られている。
一貫性の罠にはまっている。
 
それが成長を止めてる。
 
一貫性に不必要にこだわらない。
こだわればこだわるだけ自分が認識できる世界が狭くなる。
無限の選択肢から選んでもいい。
 
今までやった事ないとか出来なかったとか
その分野は知らないとは自分には関係ないとか
どうでもいい。
 
それは過去の話だ。
未来は過去の延長じゃない。
 
世の中の人は「これが私です」が強すぎる。
これを自尊心という。
 
年をとると物事を習得しにくくなると言う。
でも厳密には習得力は変わらない。
 
違うのは自尊心。
つまり「これが私です」だけ。
 
今までこんな分野やった事がない。知識もない。
だからできるはずがない。
本人がそう思っているから本気で習得しに行かない。
だから実際に習得出来ない。
要するに気持ちの問題だ。
 
普通の人は判断基準を記憶に置いている。
記憶は過去だ。過去は有限なんだ。
無限の判断基準じゃない。
 
なぜこんな事が着るのかと言うと
脳の手抜きに負けているから。
分かった気がするだけ。
 
ほんの少数のものを見た時にその共通点から全てを理解できた気になる。
 
それは人間の持つ能力だし僕たちにも働いている力だ。
効率化と言えば聞こえはいいが
判断の手抜き。
 
例えば
パソコン教室に通う高齢者が全然出来るようにならないと聞く。
本人が出来るようになれるとも出来るようになりたいとも思ってないからだ。
出来るようになりたいなんてのは嘘だ。
 
瞬間瞬間では一貫性を持たせないといけない。
「家にいても暇だから」
「人と接する機会が欲しかった」
「誰かに勧められたから」
そう言わないといけない。
 
瞬間瞬間での一貫性は必要だ。
でも長い時間軸での一貫性は不要だ。
 
なぜなら知識、スキル、認識、そう言ったものが変わる限り
発言や行動が数年前のものと変わるのは当たり前だからだ。
過去にパソコンが出来なくても死ぬまで出来ない保証はない。
 
情報、機会、チャンスなんてのは認識しようとすれば無限にある。
自分はまだやった事がない事に才能があるかもしれない。
マイケルジョーダンだって最初はバスケ選手になりたいんじゃなかった。
彼は野球でプロを目指してたんだ。
 
30の自分と40の自分が違うことを言い、違うことをやっていても全く問題なんかない。
40から50だって50から60だって同じだ。
要はそれだけ成長したんだってこと。
 
人は何年にもわたって同じことを言わないという当たり前が
当たり前に起きていなければ
「あれ?」と思わなければいけない。
 
自分の自尊心が人生を固定しようとしている。
「これが自分だ」
「これが自分らしいんだ」
と決めつけようとしていいる。
 
まず心が過去の記憶・経験に囚われている。
それを解放してやる。
自由の翼を与える。
 
目の前の世界への認識をできるようにしてやる。
 
人間は、自尊心に囚われて一貫性を取ろうとする傾向がある。
でもそれは効率化の働き。
少ない情報で物事を分かった気になろうとする脳の手抜き。
 
今この瞬間の言動の一貫性は必要。
でも長い時間軸における言葉や行動の一貫性にはこだわらない。
 
今この瞬間の無限の可能性から選ぶ事ができる。
機会チャンスに気づく事ができる。