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誰もが心にかけているメガネとは!?
不幸な出来事は存在するか? 
 

パラダイムとは

パラダイム。
 
このカッコをつけたようなとっつきにくい横文字に
僕が最初に触れたのは25くらいの時だ。
 
その時は
「物事の捉え方の枠組み」
のことだと教えてもらった。
 
当時は分かったような分からないような
でもなんとか理解したいと思ったのを覚えている。
 
 
あれから5年ほど経った今なら完璧とまでは行かないまでも
自分が理解できている範囲でなら人に説明できる。
 
パラダイム。
 
今の僕ならこう説明する。
『心にかけたメガネ』。
 
 

僕は目が悪い

日本人の大半がそうであるように僕も目が悪い。
だから小学生の時からメガネで視力を矯正している。
 
20歳くらいの時はかっこをつけるためにコンタクトにしたこともあるけど、
いずれもレンズによって光を屈折させて鮮明な像を得る道具だ。
 
 
僕は目が悪い。
 
裸眼で周囲を見回してみても
視界がぼやけて何が何だか認識できない。
 
僕の裸眼視力では、メガネなしでは生活はできない。
それを探して手を床に這わせるのがやっとだ。
 
仕事もできないし買い物もできない。
時計を見たって時間すらわからない。
 
のび太で言えば目が3になった感じ。
なんの生産もできず、なんの結果も受け取れない。
 
 
そこでこのメガネというありがたい道具を使うと
世界が一変する。
 
メガネがない時とは比べ物にならない世界が開ける。
全く違う世界だ。
 
あらゆる物が鮮明な輪郭を表す。
そうなると仕事もできるし友人の表情を見てコミュニケーションを取れる。
こうしてパソコンで文章を作ることもできる。
 
メガネの有無が仕事の成否を決めるとしたら
メガネのもたらす景色は給料分の価値があると考えることもできる。
 
メガネをかける前と後では生活の仕方が変わり、
得られる結果が変わるんだ。
 
 
 
ここで重要なのは、
僕がメガネをかけていようがいまいが
”周囲は何も変化していない”ということだ。
 
メガネをかけた、ただそれだけでは
世界の方は何も変わらない。
 
変わるのは僕の「認識」の方だ。
 
 
全く同じ世界を見渡すのに、
メガネをかけていない時と
メガネをかけた時とで
認識できるものが全く変わる。
 
認識できるものが変わるから、
その認識をもとに取る行動が全く違ったものになる。
  
ゆえに得られる結果も当然違う。
 
 

どんなレンズを通して世界を見るか

以上が僕なりの「パラダイム」の説明だ。
 
 
心にかけたメガネ。
人はそのレンズを通して世界を見ている。
 
目にかけているメガネと心にかけているメガネで違うのは
目にかけている方には「度」が入っているのに対して
心にかけている方には「価値観」が入っているということだ。
 
 
赤いレンズを通して周囲を見ると
世界は全部、赤く見える。
 
青いレンズを通して周囲を見ると
世界は全部、青く見える。
 
黄色のレンズを通して周囲を見ると
世界は全部、黄色く見える。
 
 
これと同じように、
心に抱いている価値観によって
世界は全く違う姿に見える。
 
そして多くの人は
自分の心にどのようなレンズが入っているかを意識していない。
 
 
 

価値観が景色を変える

誰もが皆、心にメガネをかけている。
これは人類75億人、誰1人として例外はない。
 
そしてそのメガネには価値観という色が入っていて
色は一人一人違う。
 
 
ある人は人間は他者に不幸をもたらすと言い
ある人は人間は他者に幸福をもたらすと言う。
 
ある人はこの社会は腐っていると言い、
ある人はこの社会はとても暖かいと言う。
 
ある人は他者の悪いところを見つけて批判し、
ある人は他者のいいところを探して賞賛する。
 
 
この社会に誰が見ても全く同じに見える物事はない。
個人が持つ価値観によって見える景色が変わるからだ。
 
みんな生きているのは同じ社会だ。
どの価値観が正しいとかそういうことを言いたいわけじゃない。
大事なのは自分がどのようなパラダイムを持っているのかを
はっきりと認識しておくことだ。
 
 
そのパラダイムを大切にしたいと思えばそうすればいいし、
そうでないならば捨てればいい。
  
パラダイムを変える(変わる)ことを「パラダイムシフト」という。
 
 
自分のパラダイムを認識していなければ
自分の人生は受動的・反応的な人生になる。
 
自分のパラダイムを認識すればパラダイムシフトをするかしないかは
本人の選択の問題になる。
 
でも認識できていなければ選ぶことすらできない。
 
 

 

不幸な出来事は存在するか?

「自分は不幸だ」という人がいる。
 
果たしてこの世界に
「不幸な出来事」などというものは存在するのだろうか?
 

 
存在するわけがない。
この世界に存在するのは事実だけだ。
そして人間はそれを自分勝手に”解釈”する。
 
 
例えばある人物が会社からリストラされたとする。
それは不幸な出来事か?
 
あるのはリストラという事実だけだ。
不運だとか不幸だというのは解釈に過ぎない。
 
それは本人のパラダイムが
「不安や恐怖、不信」に満ちているからだ。
 
見方を変えれば真剣に自分の人生を見直すキッカケを得たということだし、
もっと自分に向いた仕事ややりがいを持って生き生きと働ける環境を探すまたとないチャンスだ。
 
もちろんリストラという出来事は
本人が望んだことではなかったかもしれない。
 
でもそのようなキッカケがなければ
ただダラダラと人生を浪費して
自分と真剣に向き合う時間を作らなかったであろうことも確かだ。
 
 
 
リストラだけじゃない。
恋人にフられたとか離婚したとか
病気や怪我でさえも単なる事実に過ぎず、いかなる解釈も可能だ。
 
そしてそれらの出来事をキッカケにして大切なことに気づき、
人生を好転させた人の例は枚挙にいとまがない。
 
  
  

パラダイムシフトの勇気

エジプトのサダト元大統領を知っているだろうか?
 
彼の歩んだ人生を知ると
過去を捨て去り、新しいパラダイムで生きようとした
思いや葛藤を知る事ができる。
 
  
 
他のエジプト人と同じように
イスラエルへの憎しみに染まった脚本に沿って育てられ、教育を受けていた彼は
テレビカメラに向かって日々叫んでいた。
 
「イスラエルがアラブの土地を占領している限り、
 奴らとは握手をしない。絶対にだ!」
 
国民も共感し、呼応して叫んだ。
エジプト国内はイスラエルへの憎しみに満ちていた。
 
 
でもある陰謀に関わった罪でカイロ刑務所で収監された際、
彼はこれまで自分が持っていた脚本が適切かつ懸命だったかを考えた。
そして自らの手で脚本を書き直す勇気を得た。
 
やがて大統領となった後、
彼はエジプト国民が持っていたイスラエルに対する憎しみに満ちた脚本を書き直す仕事を始めた。
 
 
そして1977年
エルサレムのクネセットを訪問。
前例のない歴史的な和平交渉を開始した。
 
この勇気ある行動が
後のキャンプデービッド合意、シナイ半島返還につながった。
  
彼の行動はエジプト、イスラエルをはじめ
何百万もの人々に影響を与えることになった。
 
 
イスラエルは憎っくき存在、敵であるというパラダイムを植えつけられた人は
そのレンズを通してイスラエルを見てしまう。
  
イスラエルは憎むべき存在だという過去を否定しパラダイムを変え、
自らの行動と態度を改めることで
真の価値とは相容れない習慣が深く根付いている事に気付く事ができる。
 
僕たち人間は、自分自身の想像力と創造力を使って
効果的な生き方の脚本を自分で書く事が出来る。
 
 
 
〈参考書籍〉
七つの習慣

 
まんがでわかる 7つの習慣

 
昔はまんが版とか否定的だったけど
普段本を読まない人が大絶賛してるみたい。
アマゾンのレビュー高過ぎて
「こういう本にこそ価値がある」と気づいた。
頭硬かった自分に反省。